鑁阿寺の由来
(足利の大日様)

大御堂(本堂)

・ご本尊様
 (大日如来)

足利義兼公
 ≪戻る
TOPIC≪鑁阿寺≫
【ご本尊大日如来】

 開基、義兼公は足利義康の第三子にして源頼朝の従弟。しかも室は北条時政の娘、政子の妹、時子で頼朝とは義兄弟でもあり鎌倉幕府の創建に大いに尽くす。晩年高野山に入り、剃髪入道して大日道(現、本堂)鐘楼を始めとする七堂伽藍を建立し源氏相伝の大日如来を安置する。又一門弟子の育英のために足利学校を興した。
 創建以来、災火の厄にあわず、御歴代の祈願所と数多くの古文書、宝物を所蔵する。義兼の子義氏は堀の外に千手院以下十二ヶ院を建て、一山十二坊の大伽藍として足利氏の氏寺として等寺を完成した。
 義兼七世の孫は足利尊氏公にして1338年京都室町に足利幕府を開き征夷大将軍となり二代義詮、三代義満(金閣寺開基)以下、足利幕府15代の文化は230年間京洛にけんらんたる花を開かせた。その間当寺と足利氏との関係は密接不離にして現存する古文書多数は我国中世史研究には欠かせないものである。
 明治維新と同時に(塔頭)十二ヶ院は塔頭に千手院を除いて上地させられたが、明治天皇は親しく宝物を天覧せられ、大正天皇は皇太子の時御参拝され、秩父宮殿下、近年は浩宮殿下も御学友と御来山なされた由緒ある寺であると同時に御本尊大日如来の崇高なる信仰のため参拝者の多い寺である。
TOP